| 今里大塚古墳 |
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山城地方で最大級の横穴式石室を持つ古墳で、6世紀後半頃に造られた。
直径約45メートル、高さ5.5メートル以上の円墳と見られる。
棺を納めた石室は高さ6メートル、幅3メートル、高さ3メートル以上の極めて長大なものである。
古墳時代の終わりに乙訓地域全体を支配した首長の墓と見られる |
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| 今里車塚古墳 |
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5世紀前半(古墳時代中期)に造られた全長約75メートルの前方後円墳で、周囲に濠を巡らす。市内では
恵解山古墳に次ぐ大規模なもの。葺石でおおわれていた墳丘は、すでに削り取られている。
周濠の中から埴輪や土器の他に「木製の埴輪」が出土し、全国的に注目された。 |
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| 恵解山古墳 |
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5世紀中頃に造られた乙訓地方最大の前方後円墳。周囲に濠がある。前方部から多数の武器を納めた施設が発見され、
全国的に注目された。この古墳に葬られた人は、乙訓地域を支配した首長であった。 |
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| 井ノ内車塚古墳・稲荷塚古墳 |
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車塚古墳は道の北側にやや小高く残っている全長約37メートル、高さ約4メートルの前方後円墳で、前方部を
南側に向けている。
稲荷塚古墳は「オキツネサン」と呼ばれ、古墳の上に小さな祠(ほこら)がある。
全長約45メートル、高さ4メートル余りの前方後円墳で、前方部を南東方向に向けている。
これらの古墳はいずれも発掘調査されていないが、古墳の形などから6世紀頃(古墳時代後期)
に造られたもので、この地域を支配した豪族の墓と推定される。 |
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| 土御門天皇金原陵 |
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第83第天皇。わずか4歳で即位、16歳で譲位。承久の乱(1221年)で、
父後鳥羽上皇、弟順徳上皇が隠岐と佐渡に流された。
土御門上皇は自らすすんで土佐(のちに阿波)に遷され、37歳で亡くなり、
阿波で火葬された。
2年後、遺骨は生母承名門院の建立した金原法華道に移され、御陵として
今に残っている。 |
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